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鉄道コレクション
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バックの音は、1975年12月に録音した夕張線のD51 貨物列車です。 項目をクリックして下さい。
【深浦】・【行合崎】・【矢立温泉】 【 深 浦 】 さあ、これから宿を捜さなければならない。深浦駅は五能線でも比較的大きな駅なので駅員がいる。 早速、改札口にいる駅員に宿のことを聞いた。 「すいません。今晩ここに宿泊したいのですが旅館を紹介していただけませんか。」 駅員は手で駅前の方を差し、早口で「??????????。」 「はっ?」 再び駅員は「???????????。」 「はっ?」 駅員は親切にも何度も説明してくれるが早いし言葉の切れ目がない。どうも解らない。外国語である。 「ありがとうございました。」と礼を言い、自分で捜すことにした。 駅を出ると、すぐ側が海なのか波の音が聞こえる。粉雪まじりの強い北風が頬に突き刺さる。 駅前から30mほど先に国道101号線がある。駅前の両側には数件の店らしい家があるが固く戸を閉めている。街灯の光が足もとの雪を青く照らしている。 一緒に降りた数人の乗客は既になく、自分一人でポツンと駅前に立っていた。寒い、心細い、東京に帰りたくなった。 振り向くと深浦駅には煌々と明るく暖かそうな電気が灯っている。駅に戻りたかった。 それでも国道に出ればなんとかなると思い、北風を顔に受けながら歩きだした。 駅前の通りには旅館らしいものはない。国道に出て両側を見る。右側は真っ暗で何もない。波の音が大きく、時折街頭に照らし出された白い波頭が見える。国道の向こうは海だ。 左手には家並みはあるが、殆どの家は戸を閉ざし、家の中の零れ光が所々に見えるだけである。まだ夕方の5時半だというのに町はひっそりとしている。しかし蛍光灯の入った旅館らしい看板が数件ある。 まず1件目に行ってみる。玄関のガラス戸には「旅館 都々逸」と書かれてあるが中にカ−テンが架かっていて休みのようなので素通りした。 次の旅館に行くと玄関にはカ−テンがなく明かりもついている。玄関の戸に手をやるとガラガラと音をたてて開いたので、少しホットし、「ご免ください。」と声を掛ける。 奥で声がし、おかみさんらしい人が現れた。 「すいません。今晩お願いしたいのですが。」 「あいにくだけど、今日は大晦日なので休みです。」との返事。 「他の旅館もそうですか。」 「多分そうだと思いますが。」 途方にくれるとはこのことだ。都会人の感覚で駅前にはホテルや旅館があり、普通は休みなしで営業していると思い込んでいた。 その感覚で宿の予約もしないで来てしまった自分と、地方の状況を知らなかった自分が情けなかった。 五能線は先程の列車が最終なので、どこにも行くことはできない。ここで夜を明かさなければならない。今夜こそ、どうしても布団の中で寝たい。体がボロボロだ。駅員にもう一度営業している旅館を聞こうと駅の方に戻る途中、先程通り過ごした“都々逸旅館”にダメモトで頼んでみることにし玄関のガラス戸を開けた。 中に入って頼んでみると、「今日は大晦日なので、食事はできませんがお風呂は使えます。」 地獄で仏のような声が返ってきた。 「お風呂さえあれば結構ですので、一晩お願いします。」 「もし、食事が必要ならば隣で食堂も経営していますので、そこから取り寄せることもできます。」と親切に説明してくれる。ありがたいことだ。安心のためか、体の力が抜けていくのを感じる。 「素泊りで800円です。」という声を聞きながら2階の部屋に案内してもらう。 まる2晩、夜行だったので畳が懐かしかった。早く風呂に入って寝たかった。食事の注文に来たので、カツドンとお酒を3本頼んで早速風呂に入った。 この旅館のすぐ裏は日本海である。風呂のすぐ下には真っ黒な日本海が広がっていて、岩に当たって砕ける波の音がする。ヒュ−ヒュ−と雪が激しく窓をたたいている。外は吹雪いているようだが今は久しぶりに暖かい風呂の中である。おまけに宿泊客がいないため、のんびり入ることができる。 「ア−しあわせ」と思わず声にでた。 部屋に戻ると、部屋の中央のテ−ブルには注文したカツドンとお酒、そして「おしんこ」が既に用意されていた。テ−ブルを壁の方に移動させ私は壁に寄りかかってお酒を飲み出した。 実にうまい。窓の外は相変わらず吹雪いている。雪見酒だ。いい気持ちになり食事を済まして横になりながらカメラの点検をしているところに、女中さんが入ってきて布団を敷きながら「お客さんは東京の人かね。」と聞く。 「ええ、そうですよ。」 「どうりで言葉がいいと思ったよ。私は北海道ですけど、北海道と東京の言葉は似ていますからね。」 「そうですか。この辺の言葉は聞いても殆ど解らなく閉口しました。」と先程の駅での出来事を話すと、笑いながら「特に、この西津軽郡の言葉は分かりにくいですよ。ところでお客さん紅白歌合戦を見るかね? お客さんはあんた一人だから。」 一刻も早く寝たいが、折角の誘いだし大晦日なので少し見たい気もする。女中さんの後について行き、一階の居間に案内された。 居間にはダルマスト−ブが置かれ、ご主人を始めおばあさん、奥さん、そして娘さんの家族4人がお膳を囲みビ−ルを飲んでいた。 ご主人(家族のひとはマスタ−と呼んでいたが)が、「今日は大晦日なので皆で忘年会です。お客さんは、あなた一人ですのでご一緒にどうぞ。」とグラスを渡されビ−ルを注いでくれたので丁重にお礼を言って頂くことにした。 私が、東京から蒸気機関車の写真を撮りに来たと言ったら驚いていた。ここまで、しかもこの厳寒の季節に写真を撮りに来る人は少ないことだろう。 テレビでは紅白歌合戦が続いているが皆は話に夢中で誰も見ていない。その話の内容も相変わらず良く解らない。特に、おばあさんの言っていることは殆ど理解できない。奥さんや娘さんが私に話す時は、かなり標準語に近いが、おばあさんと話す時は津軽弁になる。まるで2か国語を話すバイリンガルだ。 しかし、酔うほどに言葉の弊害も気にならなくなり、楽しい雰囲気に慣れてきた。 途中、隣で食堂を経営している息子さんも帰ってきて宴会に加わった。 お酒のせいもあるが皆明るいし優しい人たちである。私は高校時代、落研で覚えた小噺を少し披露すると大いに受け一層賑やかになった。しまいには紅白歌合戦も消してしまい大騒ぎになってしまった。 奥さんが「深浦小唄」を歌い出す。女中さんが「北海盆歌」を歌い出す。 ご主人は、先程から講談を唸っているが「え−、毎度、お風呂の中で−−」だけで、なかなか先に進まない。そのうちに太ってお腹のでているご主人が、さもスマ−トそうに、なにやら訳の分からない歌を唄いながら踊り出したのには、皆で腹をかかえて笑い転げてしまった。 結局、部屋に戻って来たのは12時近くであった。布団の中に入ると、もう明日の事などどうでもよかった。このまま2〜3日寝ていたかった。 【 行合崎 】 朝、目が覚めて時計をみると10時30分。 慌てて飛び起きたが昨夜の美酒が少し残っているのか寝不足なのか、少々ふらふらする。カメラバックと三脚を抱えて宿の人に新年の挨拶と昨夜のお礼を言って出かける。 外は元旦のせいもあるのか、この小さな町は日本海の波の音以外なにも聞こえない。津軽の正月はまだ静まりかえっている。天気は北国では珍しく良く晴れており、少々二日酔いの私には雪が眩しいくらいである。しかし風が非常に強く、冷たく肌を刺す。 行合崎までの3〜4キロ位の距離を歩くのが面倒なので駅でタクシ−を利用するが、料金が心配になり目的の場所が見えた所で降りてしまった。 ここから線路沿いに国道を歩いても天気がいいので20〜30分あれば行けるだろう。 国道のすぐ脇に五能線がある。そのすぐ向こう側は海面から突き出た岩を日本海の荒波が洗っている。 線路に沿って国道を30分程歩き、目的地に着き国道から少し離れた岩場を登る。そこは日本海から吹きつける雪が強風で吹き飛ばされ積もっているというより岩肌に固くこびり付いているようだ。周りのすすきの枯れ草も触るとポキポキ音をさせて簡単に折れてしまう。 目の前には日本海の荒波が岩礁に砕け散っている。きめ細かい ビ−ルの泡をぶちまけたような白い泡が荒涼とした日本海に漂う。その泡と波を浴びるほど海の近くに敷かれた線路を、ディ−ゼルカ−に混じって1日1往復の8620の牽く混合列車が走る五能線がある。 丘の上から左手遠くに深浦の町が見え、線路はそこから海岸線に沿って曲がりながら眼下を通り、右手の岩場のかげに消えている。11時40分頃、下りの3両編成の赤とクリ−ム色に塗られたディ−ゼルカ−が岬のかげから姿を現しゆっくりと眼の下を通過していった。
しかし、ここは日本海からの冷たい強風がまともに吹きつけビュ−ビュ−と音をたて耳もとを過ぎる。とにかく寒い。というより痛い感じで顔など感覚がなくなっている。手に持ったタバコの火も強風で消えてしまうほどだ。水鼻は出るし涙さえ凍ってしまいそうである。とにかく体を動かしていないと死にそうなので足踏みをしながら待っていた。しかし、蒸気機関車を待っている苦痛は感じない。 12時少し過ぎ、岬の向こうで駅を発車する短く乾いた汽笛が聞こえた。かすかにブラフト音も聞こえる。 「来た!」心で自分に言い聞かせる。心臓がコトコト踊り出す。やり直しはきかない。 寒さで手足が痛い。シャッターを押すのがやっとのような感覚である。目が痛い。涙を拭きながらファインダ−を覗く。 岩場のかげから出てきた8620がファインダ−に入る。バシャ。1枚撮影。機関車のスカ−トには雪が白くこびりつき、白い蒸気は強風で飛ばされている。 『もう1枚は、少し手前に来てから。』そう言い聞かせる。機関車の後ろに貨車が4両、その後ろに客車が2両しっかりとつながっている。バシャッ。一瞬、目の前が暗くなりシャッタ−が降りた。
満足感を感じながらカメラをしまい国道に降りる。ここから駅まで歩くのはおっくうだが、ここではタクシ−を捕まえることができないし車もめったに通らないので駅まで歩くしかない。 途中、2〜3台の車とすれ違ったが、のんびり歩き、約1時間程かかって旅館に戻った。旅館で昼食を食べながら昨夜の思い出話に花が咲き再び大爆笑。 14時半、深浦を下りSL列車が発車するので再び駅に行く。今度は駅出発を撮影するつもりだ。線路沿いの道で待つ。線路と道の間には使い古しの枕木に有刺鉄線があり少々邪魔であるが先まで歩く気もない。その前に、駅で整備中の8620を撮影する。 14時43分。30分間深浦駅で休んだ下り8620の牽く1731列車はカン高い汽笛とともに発車し軽い足取りで岬のかげに消えて行った。
次回最終回(陣場---碇ケ関---弘前---青森---東京)に続く! |